福岡三曲協会のあゆみ

 

~始動~

大正中期、尺八同好者の間に従来の師弟相伝の教授や指導者間の連携も乏しい状態を飽きたらず、大同団結して邦楽の社会的展開を図ろうとする運動が台頭し、先覚者により先ず 「尺八連合会」 が結成され、集団活動への手がかりはつかんだが、具体的成果を上げるには至らなかった。

 

 

~創立~ 

大正15年(昭和元年) 10月、時代の要請と関係者の熱意により、福岡日々新聞(現西日本新聞)社の会議室において「福岡三曲協会」の発会式を開催、当時のメンバーは凡そ20名ほどであったが、協会の方針や運動方法などを定め、会長には当初から中枢の役割を果たしてきた福田栄五郎氏が選ばれた。

 

 

~その後の活動~

「一党一派に偏せず、来る者は拒まず」の創立精神を堅持し、各派合同の演奏会も漸次増加してきた。また会場も新聞社講堂、仏教青年会館、県公会堂等、家庭音楽を広く公共の場に進出させた。当時音楽は邦楽が主流て識者間に愛好者も多く、財界では安川第五郎氏、出光計助氏、岡野満氏他官界では松本学知事、川淵治馬知事、吉田茂知事(吉田総理ではなく、厚相・軍需相を歴任)他の応援も得て活動を続けた。

 

 

~戦争の嵐にも三曲の炬火は消えず~

「福岡三曲協会」に特筆すべきは、戦時中に於いても絶えることなく演奏会活動を続けたことである。特に敗戦色の濃い昭和19年以降に於いても、或いは自宅、或いは温泉旅館に集まり、またデパートの広間に於いて研究会を開いたが以後会場は転々とし、出席者も常ならず、時には空襲警報のため流会となるありさま。一方福岡放送局から度々ラジオ出演して昭和20年5月まで回を重ねた。昭和20年8月終戦の後、5人の侍が「戦い終り前途は荊棘の道、ガッチリスクラム組んで強く明るく生きよう」と墨痕淋漓と決意を表明して、9月末から20日間各地を巡り講演と演奏を続け、今後の方策を練った。以後は個人宅、女学校講堂、寺院仏閣等で巡回演奏を続け、復員帰国促進運動を全面的に支援した。昭和22年1月念願の「三曲協会研究会」が福岡市天神の新天町集会場で開催され、これが戦後最初の三曲協会主催の「例会」として、以後毎月開催の「例会」と春秋2回開催の{大演奏会}を主催する様になる。

 

 

~現状~

「箏三絃尺八の普及向上と会員相互の親睦を図り、地域文化」の発展に寄与する」ことを目的とし、福岡市を中心に県の内外で三曲活動をしている教授者及び愛好者で構成され、現在会員数はおよそ600名で多いとは言えないが、レベルの高さでは定評あるところ。昭和60年には「創立60周年」の祝賀行事を行った。平成18年には「創立80周年記念演奏会」,平成28年には「創立90周年記念演奏会」を行った。現在は下記の様に「例会」及び「大演奏会」等を行っている。

   

*月例演奏会 (毎月第3日曜日・ 10曲程度・入場無料)

 

*大演奏会 (春季及び秋季・2部20曲程度)

 

*記念、追善、他団体との親善演奏会等の共演及び後援等

      


歴代会長

 

初代 福田 栄五郎

 ~創立時より昭和56年

 

二代 河野 敏夫

~昭和57年より昭和58年

 

三代 飯野 勲

~昭和59年より昭和64年

 

 

四代 高橋 賢吉

~平成元年より平成10年

 

 

五代 野田 清昭

~平成11年より平成16年

 

 

六代 宮地 牙山

~平成17年より平成26年

 

 

七代 野口 心山

~平成27年より平成30年

 

 

八代 入江 峯山

 ~平成31年より令和2年

 

 

九代 猿渡 伶山

 ~令和3年より現在